ミカの神殿と祭司

micahs-idol

 エフライムの山地にミカという男がいた。彼は自分専用の神殿を持っており、高価な彫像と鋳像を置いて、若いレビ人の祭司にそれらを守らせていた。

 この頃、ダン族の人々にはまだ嗣業の地が割り当てられていなかった。彼らは自分たちの土地を求めて、まず5人の斥候を派遣した。斥候隊はエフライムの山地を経由してライシュに進み、その土地の人々が穏やかで争いを好まぬことに目をつけた。報告を受けたダン族の本隊は武装して進軍し、ライシュの人々を攻め滅ぼして土地を奪い取る。そしてこの戦争のどさくさの中で、ミカの神殿を荒らして彫像と鋳像を奪い、司祭も連れて行ってしまったのだ。

 ミカはダン族の部隊を追いかけて抗議したが、武装した大部隊に「文句があるなら家族皆殺しにするぞ!」とすごまれては手も足も出ない。ダン族はライシュの土地に、自分たちの名を付けた町を作り、そこに神殿を建てる。人々はそこで、ミカの彫像を拝んでいたという。

(士師記 17〜18章)


【解説】

 士師記は士師と呼ばれる英雄たちの記録だが、今回紹介した17章以降には士師が登場しなくなる。指導者を欠いたイスラエルの人々は好き勝手に振る舞い、時として乱暴狼藉の限りを尽くしておびただしい血を流した。

 士師記の記者は、今回紹介するミカにひどく同情的だ。ミカだけではなく、ダン族に攻め滅ぼされてしまうライシュの人々にも深い同情の目を向けている。例えば記者はライシュの人々の様子をこう書いている。

 (その地の民は)『シドン人のように静かに、また、穏やかに安らかな日々を送っている』『その地には人をさげすんで権力を握る者は全くなく、シドン人からも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかった』と。また彼らが『静かで穏やかな民』だったとも書いている。

 シドン人というのは、地中海沿岸の港町シドンに住んでいた人々のことだ。現在のレバノン南部にあるサイダ(Saida)の町が、かつてのシドン(Sidon)だと言われる。ギリシャ人から、彼らはフェニキア人と呼ばれていた。漁業と通商で都市国家を作った人々であり、イスラエル人よりはずっと優れた文化と文明を持つ人々だった。ライシュはシドン人の植民地だったようだが、周辺多部族からの攻撃に備えて武装するという発想がなかったのだろう。突然現れたダン族に攻められて、あっという間に滅んでしまう。

 ここで描かれているのは、情け容赦のない弱肉強食の世界だ。信心深いミカは自分の神殿を荒らされ、せっかく迎え入れた祭司さえ連れて行かれてしまう。祭司本人も世話になっていたミカをあっという間に見限って、強力なダン族の祭司になることを受け入れる。ミカは泣き寝入りだ。このような無法が許されていいはずがない。このような理不尽な目にあわされるのは真っ平ごめんだ……。

 そんな人々の怨嗟の声が、やがてイスラエルに王による支配を生み出すことになる。これはやがて来る王朝支配に向けての長い序章なのだ。

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