エジプト人の追跡がなくなると、人々は水や食料のことでモーセに文句を言い始めた。神は彼らに水を与え、天からマナを降らせて人々の腹を満たした。アマレク人と争いが起きたときも、神はイスラエルを助けた。
一行がシナイ山に着くと、モーセは山に登って神からの戒律を受け取った。最初に受けたのは最も重要な十の戒律を刻んだ石版だった。唯一の神を拝め、偶像を造るな、神の名を口にするな、安息日を守れ、父母を敬え、殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、隣人の家を欲するな。この他にも、モーセに伝えられた戒律は膨大なものだった。
モーセがなかなか戻ってこないことから、不安に思った人々は金の子牛の像を作って祭りを始めた。山から戻ったモーセはこの様子を見て激怒し、十戒の石版を砕いて首謀者たちを処刑してしまう。モーセは山に戻って再度石版を受け取ったが、山を降りた彼の顔は白く輝いていた。モーセは人々に幕屋の建設を命じた。
(出エジプト記 15〜40章)
【解説】
旧約聖書の最初の5つの文書(モーセ五書)のことを、ユダヤ人たちは「トーラー(律法)」と呼ぶ。その名の通り出エジプト記以降の文書は、神がモーセを通じて人々に与えた事細かな律法が大半を占めている。「ななよみ聖書」ではそれを省略して、物語の部分だけを要約した。
モーセが神から受けた律法は全部で613あるとされ、今でもユダヤ人たちの生活規範になっている。しかしキリスト教は原則として、これらの律法をすべて破棄してしまった。モーセが神と交わした旧い契約は、イエス・キリストによる新しい契約によって更新されたと考えるのだ。旧約聖書や新約聖書の呼び名は、この「旧い契約=旧約」と「新しい契約=新約」という考えに基づいている。
新しい契約によって旧い契約を破棄したはずのキリスト教徒だが、十戒だけは律法のエッセンスとして今も守らねばならないことになっている。ローマ・カトリック教会やルーテル教会の十階は以下の通り。
- 神は唯一である。
- みだりに神の名を唱えるな。
- 安息日を守れ。
- 父母を敬え。
- 殺すな。
- 姦淫するな。
- 盗むな。
- 偽証するな。
- 隣人の妻を欲するな。
- 隣人のものを欲するな。
東方正教会や聖公会、ルーテル以外のプロテスタント諸派は、上記1の項目を「神は唯一である」と「偶像を崇拝するな」に分け、9と10をまとめて「隣人のものを欲するな」として全部10項目としている。十戒というごく基本的なものでさえ、教会によって考え方が違うのだ。これはキリスト教の多様性を示すひとつの例と言えるだろう。(映画『十戒』や『エクソダス:神と王』は、この十戒が人間に与えられたところで終わっている。)
イスラエルの民のために神が与えたマナは神の恵みの象徴とされ、キリスト教徒の中には子供に「まな」と名付ける人もいる。森永製菓の幼児用菓子「マンナ」もマナに由来するネーミングだが、これは創業者の森永太一郎がクリスチャンだったためだと言われている。