アダムとエバ

Adam and Eve a painting by Peter Paul Rubens.

 天地の万物は神によって創造された。神は光を生み、天と地を分け、草木を芽生えさせ、夜空の星を作り、あらゆる動物を作り出し、そして最後に人間を作った。男はアダム、女はエバ。神は6日かけて全世界を創造し、その出来映えに満足して7日目に安息した。

 神はアダムとエバを実り豊かなエデンの園に住ませて言った。「どの木の実でも好きに食べてよい。ただし園の中央にある木の実だけは食べてはならぬ」。だが言葉巧みなヘビにそそのかされてエバは禁じられた実を食べ、アダムにも食べさせてしまう。ふたりはその瞬間に自分たちが裸であることに気づき、恥ずかしさに身を隠した。

 神は人間の罪をとがめてふたりを園から追放する。やがてふたりに子供が生まれた。兄はカイン、弟はアベル。成長したふたりは神に捧げ物をするが、神はカインの献げ物を喜ばなかった。カインはこれに怒り、弟アベルを殺してしまう。神はカインをとがめ、遠い地へと追放した。

(創世記 1〜4章)


【解説】

 保守的なキリスト教徒の中には、聖書に書かれている天地創造の物語を歴史的な事実だと主張する人たちがいる。そうした人たちはビッグバンで宇宙がはじまったことや、単純な生物が長い年月をかけて複雑に進化したことを否定する。「進化論を受け入れる者はクリスチャンではない!」と、大まじめに言う人が少なからずいるのだ。(遠い海の向こうの話ではなく、日本にも同じことを言う人たちがいる。)

 だが聖書の中の天地創造物語は、古代の人々が世界の成り立ちを説明した「神話」であって、それを歴史的な事実だと考える必要はない。

 古代人は神話と歴史を明確に区別しなかった。古い歴史書は多くが世界誕生の神話からはじまるが、それが歴史書としての価値を損なうことにはならない。例えば日本最古の歴史書は古事記と日本書紀で、そこにはイザナギとイザナミの国産みや神産みの神話が含まれている。これらの神話はもちろん歴史的な事実ではないが、それは古事記や日本書紀の歴史書としての価値を少しも傷つけない。

 聖書の神話も同じことだ。天地創造の物語は、聖書を生み出した古代イスラエルの人々が、自分たちの住む世界をどのように見ていたかを表している。

 聖書では世界のすべてが神によって作られ、神の支配の下にある。神は全知全能であり、常に正しい。だが人間は、その神にしばしば逆らう。神は世界を調和の取れた美しいものとして作ったが、人間は神の命令に背いて修復不能の傷を付けてしまう。

 完全な神と不完全な人間の対比が、聖書の基調になる世界観なのだ。聖書に登場する人間たちは、不完全で欠点だらけ。「完全な人間はどこにもいない」「どんな人間も必ず欠点を持っている」という身も蓋もない現実を、聖書は神話という形で描いている。

 アダムとエバやカインとアベルの物語が今でも多くの小説や映画に影響を与えているのは、ここに描かれた人間像が時代を超えた普遍性を持っているからだ。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中